民族楽器に触れて
日本の国際化の必要性が叫ばれてから随分時間が経った様に思います。現在では世界中の出来事が居ながらにしてリアルタイムで知ることできます。PCも加わりまさしくマルチメディアに入り、情報は自由に世界中を飛び回っています。
情報・人・物の流出入の多さをもって国際化というのであれば、まさに日本は国際化したといえるのでしょうか。
しかし、世界に通じる国際人になれたかというと、非常に疑問が残ります。
当館が開催する「民族楽器展」に来場する多くの方々が、楽器に触り無意識でドレミを探し、そして首を傾けます。「これ狂っているんじゃない」と感想をもらす方がいます。すべての楽器の音階はドレミの並びになっていると、思い込んでいる方が驚くほど多いのです。
日本にだって「日本音階」、「沖縄音階」があります。言われれば解ることが、日常の行動の中では忘れてしまいがちです。
島国である日本は生活の中で異文化に接する機会が少なく、また「周りと違う」ということを嫌う傾向があります。問題になっている「いじめ」の存在こそ、真の国際人になっていない証明のようなものです。
機械文明の点では確かに先進国になったかもしれません。しかし、文明度、民度の面でも胸を張っていられるでしょうか。国外はもちろんのこと、国内でこそ通用する国際人とは、教室の中での国際人とは何か、今最も考えなければならない問題ではないでしょうか。
日本の将来を託す子供たちに「日常の中で、他の価値観を知り、それを認め合うこと」の大切さが今まさに求められています。
民族楽器に触れることが、楽しさの中から異文化に対する興味と理解が深まるきっかけになるなら、民族楽器の歴史的使命はまさに「ここに有り」と思えてなりません。
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